イエステーション立石店のスタッフブログ
四つ木さんぽ~番外編【四つ木の歴史】~
四つ木さんぽ~番外編~
こんにちは~☆
現在、新型コロナウイルスによりたくさんの飲食店や、さまざまなお店が自粛となり閉まっていているため、取材に行くことが難しいです。
しかしこの機会にたくさんの方に立石、四つ木のことを知ってもらい、大好きになってもらいたく、今月の立石さんぽ、四つ木さんぽは番外編とさせていただきます♪
イエステーション立石店の事務員である忠原と中村が週替わりで、立石、四つ木についていろいろな目線から「立石・四つ木」の魅力をどっぷりお送りいたします♪
前回の立石の歴史に引き続いて、今回は
「四つ木の歴史」についてご紹介させていただきます!
~地名の由来とは~
由来については多くの諸説があります。
四つ木一丁目の「西光寺」にある聖徳太子像が四本の木で作られ、四木善祐という人物の名前が書かれていたからという説。
これは、680年前のことだそうです(@ ̄□ ̄@;)!!
また、源頼朝が地域を通過した時刻が“四つ”だったから、という説。“四つ”とは、現在の午前10時か午後10時にあたります。
ちなみに、鎌倉幕府の御家人であり、源頼朝に仕え活躍した葛西三郎清重という人物が四つ木にある“西光寺”で隠居していたそうです。
この説も信憑性がありそうですね!
また、地名の候補がいくつかあったようです!
1964年(昭和39年)、住居表示の実施に合わせて「四ツ木」、「四木」などの候補の中から選定されたのが「四つ木」でした。
~四つ木にどれくらいの人が住んでいるんだろう?~
令和2年5月現在で四つ木・東四つ木合わせて、27,566人もの方が住んでいます。
四つ木・・・10,861
東四つ木・・・16,705
今後丁目ごとの特集をする際にそれぞれの人口・世帯数にも迫っていきたいと思っております♪
~葛飾区四つ木の歴史~
住居表示法が施行される前の四つ木・東四つ木の名前は、本田四ツ木町や本田渋江町などの様々な町名で成り立っていました。
特に今現在、四つ木・東四つ木として知られている本田渋江町、本田四ツ木町などは開発が早く、工場が数多く立ち並ぶようになったそうです。
大正4(1915)年には、四つ木に日本製紐株式会社という大規模な工場も建てられました。この頃中小の工場も立ち並ぶようになり、本田四ツ木町にはセルロイド工場、本田川端町にはゴム工場、本田渋江町には鉄工業が多かったようです。戦後になるとメッキ工場や鉛筆工場なども増加し、工場の町として栄えていきました。
また、戦後すぐ「四つ木銀座商店街」、現在のまいろーど四つ木商店街ができました。 “葛飾の銀座”と呼ばれ、葛飾区随一の盛り上がりをみせたようです。
商店街内にはかつて映画館も存在していました。(それも3つ!)
葛飾区内で初めて開館された映画館だったのだそう。
現在も商店街には当時から続くお店が軒並みを連ねています。
~四ツ木駅の歴史~
1912(大正元)年にできた最初の四ツ木駅は、現在の駅より北側に位置していました。
なんと、1両だけの電車が1時間に1本走っているだけで、駅員も1人だったのだそう!今では多くの方が通勤通学で使用されるので考えられませんね。
(葛飾区HPより)
その後、大雨による川の氾らんから東京を守るため、現在の荒川をつくる工事が始まったことから、鉄橋と線路を新しくつくることになりました。
この新しい線路のルートに合わせて、1923(大正12)年、今の場所の近くに駅が移りました。
現在の四ツ木駅は、1999(平成11)年に完成しました。
↓現在の四ツ木駅↓
家族で住みやすく、治安のよい場所として知られる四つ木。
こうして四つ木の成り立ちをまとめてみると、知らなかった四つ木の歴史に触れることができ、調べながら楽しむことができました♪
四つ木さんぽでお店に取材するにあたりお聞きしていた過去の四つ木のお話が、今回調べていた内容と一致するものが多かったりもして、少し感動もしました^^
簡単ではありましたが皆さま楽しんでいただけましたか?
さて次回は、立石1丁目をとことん追求します!!お楽しみに☆彡